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コラム

不安がもたらす人間的体験


2020/5/6 NPO 法人 スピリチュアルケア研究会ちば

理事長  佐藤 俊一

私たちは、新型コロナウィルスの出現と対応において、先が見えないこと、予定が立たないという新しい体験をしています。また、自粛が求められており、自分と他者を守るため家族以外の人たちと接する機会が無くなっています。では、ここで立ち止まってみましょう。これまで予定があったとき本当に先のことは見えていたのでしょうか。親しい人を大切にしていたのでしょうか。見えていたつもりで、とりあえず期限までに終わらせるとホッとする、その場を良い関係で済ませるという宿命論的な態度の中にいたことに気づかされます。

先が見えないことは、私たちを不安にします。多くの人は、早く以前のような日常を取り戻したいと願います。そうした中で、コロナウィルスとは戦うのではなく、共存ということが言われるようになりました。完全に消し去ってしまうことはできないからです。共存するときに誰もが避けられないことは、自身の不安な気持ちとどのように向き合うかです。

私たちは感染のリスクによって保健医療の対象になるだけでなく、経済や教育、生活者として様々の対象になり、また、そうした面から対策が行われています。それぞれの問題はとても大事なことです。しかし、個別の課題を解決していけば済むことではなく、一人の全体としての人間は、問題解決のアプローチでは対処できない不安を生きています。そこから明らかになることは、今まで何をしてきたかではなく、どんな態度で生きてきたかです。その人自身がハッキリするのです。そのため先の見えない日々を過ごすことは、私たち一人ひとりの当りまえの日常を見直す機会となり、スピリチュアルな時間を体験することを可能にしてくれます。

今回の危機に関して、いろいろな状況の中にいる人がいます。共通しているのは、危機はこのように目に見えないかたちで、突然に迫ってきます。安定した生活を続けられると、すぐに忘れてしまいます。しかし、私たちは危機に瀕することで人間的体験をし、不安だけでなく、孤独や別れと向き合うことになります。こうした体験の中でスピリチュアリティを目覚めさせることは可能です。まるで、人間になる機会を大切にできるかが試されているかのようです。

この間に、私は上記のようなことを強く感じています。感染症を克服するために科学に基づいて対処できることは全力で行い、他方で科学の力の及ばない生の課題を再度確認し、大切にできるかが問われているのです。政府の対応だけではなく、私たち一人ひとりがどのように考え、判断するかです。国の責任でなく、個々の、また社会の責任が問われており、私たちは具体的な行動で応える必要があります。本会もしばらくは十分な活動ができない状態が続きますが、もう少しみんなで踏ん張りましょう。